虚空庵/KO KU U AN

妙心さん日記バックナンバー

4月の妙心さん日記

桜が散ってしまい寂しくなった街路樹に今、花ミズキが咲き始めています。
白やピンク色の木々が灰色のビルの谷間の中で彩っています。
私は、どちらかと言うと潔く散ってしまう桜よりも花ミズキの根強さが好きです。強い風の日も、雨の日も色あせることなく咲き誇っているからです。
私は、介護を身近に見ています。そして命の終わりは神様が決めるのだと教えられてきました。
でも此処の来てそうではない事の気付かされました。
一心不乱に介護している姿こそが、命を永らえさせているのだ知りました。
その愛に答えるかのように散ろうとしている命は力さえ増すように見えます。
二つの命の絆には、ただただ感動してしまいます。
希望ある未来など何もに無いのに、それでも明日へと命を繋ごうとしています。
春の息吹の様に、静かでそれでいて力強い命の育みを感じます。
春の日差しの中で花ミズキをぼんやり眺めていたらそんな絆を思い出しました。
そして同じ感動が蘇ってきました。ある素敵な春の一日の事です。

3月の妙心さん日記

それぞれの宗教には相違点があります。それぞれ独自の哲学や教義を持ち思いやりに満ちた人間をより多く生み出そうと日々努力しています。
世界平安のみならず、心の平安に重きを置くのは、どの宗教も共通しています。ある程度の物質は、必要と思いますが、それだけでは人間は満足な日々は送れません。時としては、何も考えず何が必要なのかそれぞれ個々に考えてみる時間を持つのも大切かと思います。
人間としてお互いに敬意を払い、思いやりと忍耐の心を持ち、そしてその上でそれぞれの宗教を見つめると、どれも違ってはいますが、良い所は、沢山ある事に気付きます。
良い所を発見できた人間が増えれば増えるほど、世界から争い事が無くなると思います。
大きな争いは、小さなひとつひとつの心の集まりで消されるのだと私は思います。
満開の桜の下に集まる人々の様に、笑顔いっぱいの世の中であってほしいと祈ります。

2月の妙心さん日記

優しく降り注ぐ雨も永遠に続く事などなく時には手に負えなくなるほど凶暴になり美しい山も一度怒りだすと狂ったように炎をむき出し憤怒する。
何処までも続く大地は、地の底から雄叫びをあげ怒り出し地を割り木々を倒し、人をも飲み込んでしまう。
人は、自然を前にして自分たちではどうしょうもない強烈な力を感じ、それを恐れた。理解できない現象や理解できても止められない自然の力を前にして恐れおののいた。意のままに操れない季節の循環や老いて死んでいく仲間たちを見て悲しみ、せめて死んだあとはこの様な恐怖が無いようにと願った。
そしてこの恐ろしい自然を支配する大いなる力がコントロールしていると考えた。人は、自分たちにみえない大いなる力を信じ、その力を神と名付け崇拝した。それが祈りの起源となった。神は、決められるものでは無く、自分が決めていくものだと私は思います。思わず手を合わせたくなる、それが自分の神だと私は思います。
それは、形あるものかもしれません、無い物かもしれません、呼吸をしているかもしれません、でもそれは意外と身近にいらっしゃると私は思うのです。

1月の妙心さん日記

(あらゆるものは有である)と言う事は、一つの極端な考えです。
(あらゆるものは無である)と言うのも、一つの極端な考えです。
如来(仏陀)はこれらの極端には、近づかないで中道を歩みなさいと教えました。
そして、どんな音にも驚かないライオンの様に、網でとらえる事のできない風の様に水で濡れる事のない蓮の様に、 サイの如く、ただ独り進めと教えました。
中道(普通)に生きる事は、難しい事です。自分が執着している者の事で人は思い悩み苦しみます。 また苦の中で、苦の原因を知って苦しみます。
逃れられない束縛も、心穏やかではありません。 この世は、心を乱す事が蔓延しています。
その中に居て、自分に戒めを守り、智慧深く、心正しく集中して、 自己を内省して気をつけて生きる事は大変難しい事です。誰もが一生のテーマとして生きていかなければ中道には、 近づけないでしょう。でもそれを遣り遂げた時には、悟りが生まれると思います。
しかし悟りは、欲ある人には与えられません。だとすると生きている全ての人は悟れないと言う事です。 一歩でも、近づくには拘りを忘れる事が一番大切かと私は思います。
老いると忘れっぽくなると言いますが、 もしかするとそれは神様からの贈り物かもしれません。

12月の妙心さん日記

満開の蓮池は、見る人に感動を与えます。又安らかな気持にもさせてくれます。
しかし水面をよく見つめるとまた違った世界がみえてきます。
同じ水中に生まれ育った蓮の花にも色々な一生があります。
せっかく美しい花を咲かせたというのに、水面に顔を出せないでいる花もあれば
水面を離れ空に向かって大きな花を見事に咲かせている花あります。
また水面に顔を出しても、つぼみのままで終わってしまう花もあります。
しかしどの花も、濁った池の中で汚れもせず美しく咲こうと一生懸命です。
そしてどんな一生の花も、又実を付け明日へと繋げようと生きています。
それまでには、太陽の光に助けられたり濁った水にも協力してもらったりと、小さな花は他の力を借りて実をつけようとします。
何か人間の姿をそこに見ている様でせつなくなります。
思いのままにいかないのが世の中で、その思いも志半ばで終わる人もいます。
思いどうりにいった人など少ないでしょう。
満足して生きた人も、しない人も、それまでの人生、懸命に生きたはずだと思います。
最後までできなくても懸命に生きた時もあったと思います。
汚れた世の中で懸命に、時として人に助けられ救われながら・・
きっと蓮の花の様に水面にあっても、水中にあっても見る人誰かを喜ばせていたのだと思います。
そして次は、満開の花を咲かせようとその時を生きているのだと思います。

11月の妙心さん日記

人生を簡単に、そして安楽に過ごしたいと思うのなら常に群れてやまない人の中に混じっていればいいと思う。
そしていつも群衆と一緒につるんで生きていけば、なにも不安はない。悩みも少ないし、苦しみも少ない。
人生を幸せに、過ごしたいと思うのなら幸福な人の傍に寄り添っていればいいと思う。
そしていつも幸せのおこぼれをちょうだいしていれば、なにも不安はない。地をはって生きているよりよっぽどましだとほくそ笑んでいればいい。どちらも悪くいけば人のせいにすればいいのだからお気楽な生き方に違いない。
日々の生活態度が極端に走ることなくバランスのとれた状態を保つ様に心掛けるべきと諭すのが仏教の教えでありブッタが言い続けてきた事なのです。しかしその状態の中で生き、群れて寄り添うと自分自身を見失ってしまうでしょう。
時がたてば経つほど、自分が自分ではなくなるでしょう。その時は安楽でもなく、幸せでもなくなり息苦しさだけが残るでしょう。
人間の人間らしい生き方を諭し生きたブッタは、極端な出家をしました。万人を救う為の犠牲だったのでしょうか?教団が大きくなればなるほどブッタは、出家した遠い昔が一番人間らしかったと思っていたのかもしれません。
人は、群れから離れる瞬間が一番生きている実感を感じられるのではないでしょうか。 そしてそれが又、人間らしい人間しか持ちえない快感ではないのかと思えてならないのです。

10月の妙心さん日記

早朝に亡くなった母を、父は助手席に乗せ2人で家に帰るのだと言い病院を後にした。呼吸器の管をはずし点滴も外し、父は母を抱きかかえて行ってしまった。
もうあれから20年が過ぎました。その時の父は母にもう二度と見る事が出来ない思い出の地を巡ったのだと言っていました。帰りの遅い父と母に、はらはらしている所に綺麗にお化粧をされた母を抱きかかえ帰ってきた父の顔は嬉しそうでした。目は、真っ赤でしたが微笑んでいました。母も綺麗にしてもらって2人とも素敵でした。
あの頃は、まだ若い私は親戚に気を使ってただおろおろとしていましたが、今になって思う事は、母は女として幸せだったし父は本当に母を愛していたんだと思うのです。そんな中で育った事を今ではとても幸せに思います。2人の愛をいっぱい受けて私は育ったんだと思うとありがたい気持ちになります。
そうして描いたのが(おばあちゃんが死んだ日)です。
どうしてもあの時の気持ちを忘れたくなかった、そして残しておきたかった。そんな風に、あの1冊ができたのです。小さな本の中身には大きな家族の思い出がいっぱい詰まっているのです。
そしてそれはちよっと疲れた時の私の心のエッセンスになってくれるのです。

9月の妙心さん日記

激流の中に落ちた木の葉の様に、もみくちゃにされながら止まる事も許されずわき見をしようにもはっきりと景色も見えず、何処へ行くのかもわからず、いつの間にか叫びもかき消され、気がつけば踏ん張る力もなくなって、あげくの果てには泣く事も許されず、声を無くし、ただ怯え震えて生きてきた人生なんて、誰が私を、人間と見ましようか・・・
野に咲く花や、空を飛ぶ鳥の方がよっぽどに尊いと人は笑うでしょう。でも生きていかなくてはいけないのです。
何故なら今生きているからです。
では、野に咲く花の様に、空を飛ぶ鳥の様になる為にはどうしたら良いのか・・・
野に出て、空を眺め考えなければ答えは出てこないのです。答えは野の中に、空の果てにあるのですから・・だから随分と時を要します。
間に合えばいいのですがと泣いている人に私は会いました。

8月の妙心さん日記

10月からの教室の準備をしていました。それと今月は沢山の本を読みました。
私は、 人並みに読書をしていますが、知らないうちに涙が流れた本に初めて出会えました。 人前では、泣かない私でしたが・・気がつけば涙がボロボロでした。 感動しましたが、ちよっと恥ずかしい思いもしました。
読書の秋と言いますが、私は、読書の暑い夏でした。

7月の妙心さん日記

宗教では神様が人間を作ったと言い、哲学では人間が神様を作ったと言います。
昔々・・宗教と哲学には、相通じるものがありました。しかし、いつの間にか全く違うものとだと分類されました。
そうなってしまったのは、人間の欲なのでしょうか・・・どちらが正しいのか・・間違っているのか・・それは誰にもわかりません。信じる者が正しいと思えばそれでいいと私は思います。
宗教にも哲学にも良い所はいっぱいあります。良い所を正しく見る静かな時間を大切に受け入れなくてはいけないと思います。そうすればきっと、自分にとっての神様を知ることができるのだと思います。

6月の妙心さん日記

体は、心の器です。 形ある器はいずれ、無くなります。
そして壊れて、使えなくなります。
壊れた器の中に入っていた心は、流れ出し人の心の中に憂いとなって浸透していきます。
壊れた器の中の心を人は拾い集めます・・取り残さない様に、溢してしまわない様に目を大きく見開いて、 一つ残らず拾い集めるのです。拾い集めた心は、人の心の中で留め置かれ生き続けます。
悲しい心も、誇らしい心も尊い教えとして人の心の中で生き続けます。受け継いだ人も、 いつかは自らの器を無くし次の人の心に宿ります。壊れた器の前に居ると全てが、消え去った様に感じます。 でも時が経てば経つほど、心だけは生きている事を知るのです。受け継いだ心を、 愛していればいるほどそう思えるのです。
だから永遠に消え去る事はないのです・・きっとそうだと思います。そうでなければ苦しいのです。
そうして人は、残り香の中に居て心地よい夢を見るのです。

5月の妙心さん日記

東京が暗い・・・そんな光景をいたる所に感じた。
東日本と共に東京も震災の痛手を受け共に向き合い苦しんでいるかのように見える。
いつもは東京の人達の早足についていけず迷惑をかけたものだが・・・なぜか快活な人達がゆっくりと歩いているように見える・・・それとも元気がないのか・・・重苦しい気持と共に目頭が熱くなる。
いつか東日本が元気になればきっと東京も元気になるに違いないと思った。そしてこれも一つの“絆”なんだと体感しながら帰路についた。

4月の妙心さん日記

遠くから知人が訪ねてきました。
聞けば名古屋見物がしたいとの事・・では私がご案内をと張り切ってでかけました。
さて何処へ行こうかと考えても思い当たる場所がない・・・困っておりましたらホテルのフロントで観光マップを渡されました。
では月並みに名古屋城に行こうと言うことになり10年ぶりのお城見学に出発しました。
戦前の名古屋城の写真を見て感動しきり、気がつけば知人より熱心にガイドの話に耳を傾け昔に酔いしれ・・思い入れ・・誰の為の名古屋見物かも忘れ楽しんでまいりました。
改めて名古屋のよさを知ったのどかな春の一日でした。

3月の妙心さん日記

この度の(東日本大震災)において被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
また犠牲になられた方々とご遺族の皆さまには、深くお悔やみ申し上げます。
私も、この寒さのせいかウイルス性の病で苦しんでおりました。
入院まではしませんでしたが、御依頼を受けました絵が進まず心苦しい思いをしておりました。体調は、日々良くなっておりますので次月よりは、私なりに被災地の皆さまに対し何かお役に立てる事を真剣に考え、実行しなければいけないと強く思っております。

2月の妙心さん日記

2月は、とっても寒かったです。でも私が行った日はとても温かな日でした。
京都、滋賀の人達のお心が温かかったからかもしれません。ずっと笑っていられました。幸せな一日でした・・・感謝です。
そのあいまにお雛様を描いてみました。その昔、絵を教えてもらった先生から絵は心が乱れていたら良い絵は描けないと言われました。その先生は、もう神様になられましたが、私は絵を描く前には必ず先生のお言葉を思い出しています。 先生は、私の中でまだ拙い私を指導して下さっているのです。
今回は、京都、滋賀の人達のお心に支えられ良い絵が描けたと思っております。先生ありがとう!皆さまありがとう!